こんにちは。
BPの「brain」、やぶさめです。 ←調子に乗っているので殴ってあげてください(´ω`*)
オープニング
交換日記ということなので、これまでのメンバーの日記に少しだけ触れていきます。
たね
ブログだけ見てると、めっちゃ真面目ちゃん。
かりーちゃん
たかが、交換日記。されど、交換日記。
a.me
僕は、松になりたいです。嘘です。
しろ
君は、BPのミトコンドリアになるに違いない。
こんなところですかね。一見すごく雑に書いていったみたいですが、それぞれにすごく時間をかけたんです。
伝えたいことを、いかにシンプルに伝えるか。
伝えたいことを、いかにシンプルに伝えるか。
これは、すごく大事なことかなと思います。
「人間は考える葦である」とか「われ思う、ゆえにわれあり」みたいなことです。
この手の話ですごく印象に残っているものがあります。
前述した「人間は考える葦である」という言葉を残したとされる数学者、哲学者であるパスカルという人のエピソードです。
ある人は友達であるパスカルから手紙をもらいました。
その手紙は随分と長文の手紙でした。
その手紙の始めには次のようなことが書かれていたそうです。
「すまない、友達。時間がなかったため、このように長い手紙を送ることとなってしまった。」
違和感を覚えませんでしたか?
時間がないならば、短い手紙になるのではないのか、と。
しかし、パスカルほどの者になると十分な知識を持っておりますので、長文を書くことなど容易です。
自分の知っていること、そこから思うことなどを書き連ねれば良いだけなのですから。
ですから、長く書けば伝わるものをどれだけシンプルに伝えられるか、ということに焦点を当てるわけです。
この営みには少なからず時間がかかりますので、その時間を確保することが出来ず前述したようなことを書いたわけですね。
哲学が好きな僕としてはいかにシンプルに伝えるかというのを心掛けたいところです。
これで、オープニングは終わりです。
オープニングが長すぎました。特大ブーメランですねw
それでは、、、本文に、、、
レッツゴー!!!
本文
僕は現役高校生ですから、高校の学校生活でのことを書きます。
先日、らい病について学びました。
らい病患者は、国の隔離政策や国民の誤った認識により、長らく人権を害され差別を受けてきました。
実際はそのような対応を取られなければならない危険は無いのにも関わらず。
そんな過去の様子を知ると、憤りを感じました。
それと同時に、僕が当時生きていていたとしたら彼らと異なる対応をとれただろうか?と考えると、それを断言できないことに恐怖を感じました。
疑問を持つことが出来れば正しい知識を身に着け、偏見を持たない行動をとることができるでしょう。しかし、自分の無意識に根付いてしまったものは、それがたとえ偏見であっても、そこに違和感を覚え疑問を持つこと自体がむつかしい。
「無知が偏見を生む」
これは的を得た言葉かなと思いました。
でも、ただ知識を教えてもらっているのはよくないと思います。
教えてもらうだけでは、教えてくれる人の誤った認識を受け入れてしまう恐れがある。
逆に、自分から知識を取りに行くだけでも不十分。
興味のある知識に偏り、これもまた偏見を生む恐れがある。
一方だけでは不十分。両方のバランスが大事かなと思いました。
あくまで自分の意見なので適当に流しておいてください。
少なくとも僕はこのことを肝に銘じて過ごしています。
最後に
今回はすごくまじめに書きました。
最後になってすごく恥ずかしいです。
普段はゆるゆる自分の世界で生きているので、その世界を外界に出すのは…
割と楽しかったです。
今後もこういうことを高頻度ではないにしろ書いていきたいな。
ということで、今回はここまで!
次回はしろちゃん。
お願いします!!
תגובות