なんだかんだ言うとる間に2月1日まであと4日です。
月日が経つのは早いものです。「光陰矢の如し」とはうまく言ったものだと感心させられます。
言葉の表現という点に関連して、僕がすごく好いている一文があります。
「もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました。」
これは、夏目漱石の「こころ」という小説の一文です。
この言葉の経緯を簡単に説明します。(以後の段落、ネタバレあり)
先生(以降「私」)は居候している家のお嬢さんのことが好きになりました。
しかし、共に居候をしているKがお嬢さんのことを好いているということをKに打ち明けられます。私はお嬢さんに対する恋心をKに隠しながら、Kの恋の行く手を邪魔しようとします。そして、とうとうKより先にお嬢さんとの結婚が決まてしまうのです。私はKを裏切ったと言えます。それが原因なのかは定かでありませんが、Kはその数日後に自殺してしまいます。
前述の言葉はKの「死」に気が付いた時の言葉です。
この言葉を聞いたとき、ものすごく感動しました。
この短い言葉だけでここまで表現できるものか、と。
歴史に名を刻む文豪は格が違う。
やばすぎる。
すごい。
すごすぎる。
やべえ。。。
圧倒的な語彙や思考が生み出す表現の前に僕の語彙は失われました。
このような体験は生まれて初めてでした。僅か1か月のことです。
「もっと早く読んでおいたら良かったなあ」と思いながらも、
「もっと早く読んでいても、これほどの感動はえられていなかったのだろう。」と自己肯定しています。
別に、いつ読んだっていいのです。読まなくたっていいのです。
私たちが本をいつ読んだって、読まなくたって、社会は変わりません。
もしかすると、自分の社会の見方が少し変わるかもしれませんが、そうは言ってもほとんど変わりません。社会にとっては誤差です。
私たちの感じた感動、喜び、悲しみ、憎悪、憤怒、諦念...など関係なく社会は動いていきます。動いていかなければなりません。そこにはルサンチマンが孕んでいるのかもしれません。
しかし、「社会にとっては~だ」とか「社会的には~だ」みたいなことはどうだって良いのです。自分にとっての感動は間違いなく感動であるし、悲しみは間違いなく悲しみです。
自分に前に、それ以上でもそれ以下でもなく現れてきます。
自分にとって大事なことは間違いなく大事なことですので大事にすれば良いのです。
ここで忘れてはならないのは、それらは自分にとっては大事なもので大きく現れてくるのは間違いないが、前述したとおり社会的には誤差だということです。
私たちにとって大事なことを外部に求めるべきではないと思います。
時には、社会があなたを救うことはあると思います。それはそれで有難いことです。
しかし、社会が私たちを完璧に理解することはありません。
「自分にとってはこれが大切なんだけど、社会的にはそうじゃないんだよね。自分は自分の大切なものを勝手に守っているね。」
おそらく、これくらいの心持で良いのです。
もちろん、これも自分のエゴに過ぎませんので、違うと思う人はこれを違うものとして存在させておけば良いのです。
あ!今日の担当はやぶさめです。お願いします!!
前置きのつもりが1,000字以上書いていました。。。
もう本文でいいよね?ね?
一応、ゆるーく本文を書きます。
2月1日のイベントのグッズが着々と完成しています。
めっちゃ可愛いんですよ!!
当日行けないのが悲しすぎる。。。
2月1日が終わるとしばらくオフラインでのイベントがなくなります。
オフラインでBPの触れ合いたいという方は2月1日を逃すべからず。
イラストメンバーのグッズを買う、しろちゃんの歌を聴く(リクエスト曲を聴けるかも?)、ワイワイ話す...
楽しみ方はそれぞれ。なんでもいいので、楽しんで満足して帰ってもらえたらなぁと思います。
今後はオンラインでの活動が活発になり、グッズをオンラインで買えるようになります。
楽しみにしていてくださいね!
本日はここまでとなります。ありがとうございました!!
次回は、たねちゃん。
お願いします!
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